無事、納品
って本当に無事なのか?
でも、できる限りのことはやった「つもり」で、本日のEOB(曖昧だなぁ)の納期よりも前の15時半頃に納品した。
久しぶりのガチガチのハードウェアというか、小さな部品の案件。翻訳を始めて少し経ってからの一時期には自動車関係が多かったので部品系は慣れていたはずの用語や表現もすぐには出てこず。
でも、いつもの某社のMTPE案件よりもはるかに面白かったし、今日は4時前に起きて、4時半くらいから仕事を開始する気力もありで。
こんなことも久しぶりであったりする。
久々のお仕事\(^o^)/
唯一のお仕事受注先である翻訳会社にMTPEで1か月満載は嫌だと言って、3週間ほど仕事なしだったが、本日、お仕事打診。
機械関係のマーケ系。
MTPEは嫌だと言ったのに、このジョブでも自分の翻訳力の足りなさが自分で嫌になるほど。
作業時間もそこそこいただいたから、頑張らねばと思いつつ、思考はあっちこっちに飛んだりしている。
私が知っている翻訳者さんたち、睡眠時間を削ってまでも仕事関係でも、それ以外でも、たくさん勉強してる。努力してる。
私、7時間は寝たいし、家のこともそこそこしたいし、ぼーっとTVドラマも観たいし。外にも行きたいし。
だから、お前はいつまで経っても3流以下なんだってば、とつくづく思う。
今や遅しと思えるけど
こんなことを始めました。10年ぷらすあるふぁ 遅いよね(^_^;)
放送大学は環境系のことを学びたいと思って2年ほど前に始めたけど、理数系は本当に頭がついていかない。
若い頃は記憶力というものがあったはずなのに、いまはほぼ皆無かな?その前の理解力っていうのは絶望的状態だったりするし。
もうIT系のMTPEでいろいろと目いっぱいになってしまって、唯一のお取引先にもうMTPEは嫌だと言ったら、即、お仕事干されています。
まあ、いろいろと諸事情ありなのだが、創業当時から携わっていたその会社1社にここ数年は完全に頼っていた私が悪いのよね(いろいろとお世話にもなったし)。
なので、今、ちょっと、いや、かなり懐がヤバイなと思っています。
トライアルも2,3年前からちょっとずつ受けているけど全敗状態なのが情けない。自分の翻訳力の低下が著しいことをヒシヒシと実感しております。もう、訳文のリズムが、なーんて言っていた大昔の自分は何だったんだろう。読書もほぼなし。
ただただひたすらセグメントと格闘してきた日々だったな。
目の前の仕事の量をありがたがって(だって、ありがたいもん)、勉強?というか、努力してこなかった私の負けです。
本日は時間はあるので、思い立って、PCや仕事机やその他諸々を2階の元の仕事部屋へ移動しました(たぶん明日は筋肉痛だわ)。故愛犬ロンの足が弱って、2階からの階段を落ちるようになった頃(数年前)に私の仕事と寝る場所を1階の和室に移動していたのです。
まあ、私の寝床は1階の和室のままとしますが。
なぜか、勉強をじゃまするしま吉
下の方、白くなっていますが、しま吉が乗っているのは放送大学の教科書と私のノート (・。・;
2階のこの部屋、東~ちょっと南に面しているため、冬はめっちゃ寒く、夏はサウナ部屋なのです。で、エアコンは数年前から故障しているしねぇ。
冬は着込んで指なしの手袋すればなんとかなるかな。が、夏は。。。
来年の夏が来る前にちゃんとエアコンとベランダ側に付けるシェードが買える状態になっていることをひたすら希望です。
いつまでも あると思うな 貯金と仕事
もう、ここまででも何度も体験してきてるけど、さ。高齢になっているので きついっす。
1日お休みして
手持ちジョブはある。ワガママを言って余裕ある作業期間で受けているジョブでもある。でも、実際には余裕なんて。が、ちょっと外の空気が吸いたい!
とういことで、本日は休業を決め込み、気になっていた『没後50年 藤田嗣治展』に行ってきました。
藤田嗣治についてはフランスに渡ったとか、レオナルド・藤田 という名前を使っていたとか、どこかで見た数点の絵しか知りませんでした=猫もモチーフの一部として描いていたことも知らなかったというのが本当のところです。
でも、この展覧会のHPやフライヤーでも使用されている『カフェ』の絵がすっごく好み!だったので気になっていたのです。
観に行って、やっぱりよかった。
年代によって描き方というか画調というかがまったく違ったりするけど、裸婦を乳白色の「絵肌」で大胆に描きながら、それとは対象的な布やその図柄の細かな描写。猫の毛を描く繊細な線。色調。擬人化した動物たちのそれぞれの表情。
うまく表現できないけど。日本画のようだな(その要素もあるのかな?)と思ったりもします。
かなり混んでいました。全部観るのに2時間近くかかっちゃったかもです(年齢層は私を含めてかなり高め)。
お腹が空いたし、今日は一人で観に行ったので気を使わなくていいから、懐かしのハヤシライスを食べようと2階のレストラン(昔は「食堂」と言っていた)へ。
並んでいたけど回転がよく、そんなに待たずにカウンター席へ。そして
懐かしのハヤシライスは、自分の記憶ではグリーンピースがのっていたような。。。
次に行きたい美術展はこの2つ。
行けたらいいな。行けるようにがんばろう。
あっという間のキラキラのときでした
9月9日(日)、正午からの浅田真央さんのサンクスツアーに行ってきました。
人生初の生真央ちゃん、と言う前に人生初のアイスショー
ラッキーなことにチケットの県民優先の一次抽選を通過し、それも、そのレベル(S2)の中では最高のお座席でした(パイプ椅子だけど^^;)
あ、ここはサンクスツアーでもコンパクトな会場のようです。普段はスケートリンクとして使われているので(このサンクスツアーのメインの練習リンクとのこと=プログラムの練習写真はこのリンクで撮られています)、リンク上に仮設の座席が設けられているから、実際に滑ることができるスペースは限られていて、客席数が少ないのでリンクに超近いのでが、演技をする側としてはかなり手狭すぎなのだと思います。そして、常設リンクなので冷蔵庫状態。もちろん、自分はその情報を得ていたので服装系の準備は万全。ただ、一緒に行った従妹と叔母は、ちゃんとその情報を伝えておいたのに、以前に行った特設会場はそんなに寒くなかったからと準備が甘かった。
というのはさておいて
以下、ちょっとだけネタバレになるので、これからサンクスツアーをご覧になる方はスルーしてください。
最初に登場した黒頭巾姿のスケーター。んんん?誰??? もしかしたら???
そう、真央ちゃんでした。
こちら方面に滑ってきて、頭巾を取り、(^o^)と手を振り。。。
もう、あの真央ちゃんが目の前にいる!目の前で滑ってる!
涙がこぼれてきました。
その後は、あっという間に過ぎてしまった時間でした。
前半はエキシビ曲を中心に(スマイル とかリッツカールトンとか)、後半は競技用の演技をアレンジして。
大好きなあの曲、この曲。妖艶な真央ちゃん、可憐な真央ちゃん♡
もっと何回も見たかった チェロスィート や、新しいお衣装だとはっきりわかる蝶々夫人、黒赤連続のリチュアルダンス。暗転でのお衣装の早替りもありで、
ソチのフリー曲、ラフマニノフの演技では、私達のいる方に滑ってきて、たぶんダブルアクセルからの2または3連続ジャンプだったのかと思うのですが、2回目で詰まっちゃって^^;
ごめん というふうに頭上高く手を上げて合掌しながら中央にバックで戻っていって、その後はあの圧倒的なステップでのフィニッシュまで。
で、その失敗ジャンプ、アンコールで同じ位置まで滑ってきて、もう一度やってくれました。残念ながら足元が見えないし、それほどの通でもないから間違っているかもですが、ダブルアクセルからのダブルトゥループx3(@_@) つまり4連続ジャンプ\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
もちろん、皆んな大拍手 (T_T)(T_T)(T_T)
舞ちゃんの シェヘラザート、ステキだった♡
無良君のスピード、氷を削る音、ダンチだったし、キレッキレのオペラ座を生で観られて幸せ♡
ただ、真央ちゃん、あんなに滑って、何公演もこなして、足、大丈夫なんだろうか
という危惧以前に、中盤から後半にかかった頃だったか、もう少し後だったか、リボンを使ったグループ演技の最中、舞ちゃんとマラルさんがセンターあたりで衝突するというアクシデントがありました。でも、最後までふたりとも滑っていたのですが、マラルさんは、私が観た公演の後の最終公演には参加できず、舞ちゃんも実は怪我をしていたと。
お二人とも、どうぞ怪我の程度が軽くてすみますように。
とにかく、本当に素晴らしい時でした。拍手しすぎで両手のひら痛いし、たぶん「まおちゃーん」とか、「むらくーん」とか、皆んながきれいなジャンプを決めると声を出していたのか(自分、無意識)、喉が痛くなっていた^^;
J-COMに加入している方(私はしていない)、放送があるみたいです。
その後、シャトルバスに乗って、一緒に行った叔母と従妹と上尾駅前でお昼ご飯にしました。
シャトルバスに乗るまで、空腹なんてまったく感じなかったのに、午後2時半頃に ↑ ペロリと平らげました(^_^;)
今、ただひたすら思うことは、このツアーが終わっても、真央ちゃんがスケート靴を脱がずにいてくれることなのだけど。
それは真央ちゃんんの人生なので。。。
母の砥石
たぶん、30年以上前に母が買った砥石
あら、ちょっと暗く、ばっちく写っているのですが、母から受け継いで、使わずに、その他のシャープナーとかを経て、やっぱり砥石で下手くそながら研ぐのが一番と思っています。
心配はしているのだが。。。
日曜日に久しぶりに父方の、息子はいるけど事情があって都内ひとり暮らしの叔母の顔を見に行ってきました。叔母は戸籍上は来年になってからだけど、この年末には90歳になります。
叔母の住む地域の最寄り駅に着いてからメッセを入れると、いつものごとく、住まいのマンションの至近の和食ファミレスの前で待っていてくれました。
そうそう、いつも年金ぐらし(と言っても、故叔父の年金があるから十分に生活できる金額)の叔母にお昼をごちそうになります。
そして、いつも帰り際には、私は拒否しているのに、強制的にお小遣いを持たされております。
叔母は私が故母を看取った状況を知っています。
息子がまったく頼りにならないので私に。。。
生命保険の受け取りも私とか、
叔母のことは心配だけど、やっぱり、申し訳ないけど、かなり負担というのが本音です。
故母がこの叔母をどのように思っていたのかもわかっているし、でも、やはりできるだけ私が寄り添わなければとはわかっているのだけど、
重荷です。